子供の頃、高鉄棒が好きだった。
身長の倍くらいの高さがあったので支柱をよじ登り
蹴上がりや(記憶に間違いがなければ)大車輪を
楽しんでいた。
体調を崩してからふと思い立って
近くの公園にある高鉄棒を試してみた。
愕然とした。
軽くジャンプすれば届く高さだったにもかかわらず
真下に立ち見上げただけで視界がぐらつき
飛び上がることすらできなかったのだ。
それ以来、世界が上下左右に見える視点の変化が
大の苦手になってしまった。
身体はいつも強張っていて力が抜けず
リラックスできない状態が長く続いている。
身体の柔軟性は往々にして思考のそれにも繋がるものだ。
取り戻すべきもののひとつに数えておきたいと思う。
いつでもどんな時でも変わらぬ
心の底からの深い愛と真心、感謝の気持ちをこめて。
かけがえのないあなたへ。
2019年05月22日
幾つか(徐々に修正)
苦戦している。
不慣れなままに綴ることばの
独自性に悩む。
何を書いても
いつかどこかで聞いたことのある
フレーズのように思えてしまい
ことば悴んでしまっている。
今はまだ鎧外せずがんじがらめの心と身体
徐々にほぐして
頭抱えつつも書いてみているその証に
赤子のように拙くも幾つかを載せる。
晴れわたる空
慌ただしい日常の絶え間ない繰り返しに
どうしてもついていけないそんな時
みなが歩む道をたどれない
だからといって
生きることを諦めたりしないで
雨上がりの空に浮かんでいる
幾つかの雲を気にすることなんてない
やがてその心の中に広がる
晴れわたる空に気付く日がくるから
善きものを
忙しなく動き続ける
この世界に
どんな時でも
善きものを
見る。
立ち止まることなく歩み続ける。
いつでもどんな時でも変わらぬ
心の底からの深い愛と真心、感謝の気持ちをこめて。
かけがえのないあなたへ。
不慣れなままに綴ることばの
独自性に悩む。
何を書いても
いつかどこかで聞いたことのある
フレーズのように思えてしまい
ことば悴んでしまっている。
今はまだ鎧外せずがんじがらめの心と身体
徐々にほぐして
頭抱えつつも書いてみているその証に
赤子のように拙くも幾つかを載せる。
晴れわたる空
慌ただしい日常の絶え間ない繰り返しに
どうしてもついていけないそんな時
みなが歩む道をたどれない
だからといって
生きることを諦めたりしないで
雨上がりの空に浮かんでいる
幾つかの雲を気にすることなんてない
やがてその心の中に広がる
晴れわたる空に気付く日がくるから
善きものを
忙しなく動き続ける
この世界に
どんな時でも
善きものを
見る。
立ち止まることなく歩み続ける。
いつでもどんな時でも変わらぬ
心の底からの深い愛と真心、感謝の気持ちをこめて。
かけがえのないあなたへ。